明けまして326日目の②
この2作目の映画を作るきっかけに
なったのは、2年半ほど前、
ある電話がかかってきました。
知り合いの女優さんの旦那さま。
明日、名古屋に来れないか?と。
「わかりました、明日空いてますよ。何時に名古屋行ったらよいですか!」
と、ひとつ返事したのは仕事の依頼じゃないのに
いきなり明日呼び出したりせんやろう、
と思ったわけなんです。
出演の話か、監督の話や、とヤマを張って
念の為、処女作のデータとパソコン、
テレビに繋げるケーブルだけ持って車で向かうと、
「ドキュメンタリー映画撮ってほしい
って言ってる人がいるんだけど。」
よし!やったぜ〜、やはりこんな展開か!
「ありがとうございます、一作目を持ってきたので、その方と一緒に観てもらえますか?
ただ、やれるからには予算はある程度いただきたいです。内容を聞いてからお伝えしますので、よろしくお願いします。」
で、その方の会社に向かう2人。
その社長は、撮る気満々。
名刺と、経歴書をお渡しし。
開口早々、
「こんな少年が来月に、少年院から出てくる。
それを密着して撮ればオモシロイと。
更に、再来月にはこんな子がと、、、。」
なんだなんだ?としっかり聞いてるうちに、
闇に囲まれた少年たちを撮って映画にしてくれ。
というご注文。
「わかりました。
僕にお話しして頂いてありがとうございます
初めて作った映画が35分の京都の時代劇で、
少年ふたりの物語なんですが、
いまから観てもらえませんか」
「いいですね!いまから観ましょう!」
とのこと。
テレビに繋いで、スタートして、上映終了。
「良いですね。。
あなたなら若いパワーで
反骨的なものが撮れるんですね。
今回のわたしのドキュメンタリー映画で
いくらかかかるの? 」
と即返事され
「あはは、ありがとうございます。ん〜、0000000くらいは欲しいですかね。長期間になるので。最低でもそれくらいはかかりますのでお願いします。
スタッフは最小限にしても、その題材なら
少年の変化を追っていくストーリーですし、
何年かかるか分からないですし。」
「わかった。経理に話してくるわ!」
と社長は出て行った。。。
他の方々と沈黙の時間が流れる。
「名古屋良いですね〜味噌煮込みうどん」
「10歳のときに伏見の御園座に1か月きてたんですよ」とか、わけのわからない話をしてたら、
ガチャっと扉が開いて社長が戻る。
10分くらいしか経ってない。
「通しましたから、
先に一括で支払ったら良い!?」
て、、、
これにはびっくりした。
しかし、怯むわけにはいかない。
映画にはこういうことが必要だ〜となり
「いや、いや、半年くらいで分割でけっこうなんで、ありがとうございます!京都に帰ったらすぐに
見積書と支払いサイトの書類を作って送らせてもらいますね。。」
そして、まさかの1週間後に撮り始めることになってしまった。。。。
その③に続く 西尾塁